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100人の友人よりもたった一人の親友が居ることのほうが幸せだ

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僕は友達が少ないです。
小学生~今日までで友人と呼べる人は20人いかないぐらいです。
このうち連絡がとれるのが半分の10人ぐらいで、仲がいいと言えるのは6人ぐらいです。

こんな僕ですが、友人が少なくて人生が不幸だとか充実してないだとか思ったことは一度もありません。
それは僕には彼女がいるということもありますが、たった一人の親友がいるということも大きいです。
今回はそんなたった一人の親友に関してお話いたします。

高2で出会った友人たち

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僕は中3で名古屋から岡山に一度引越し、そこから高校卒業までは岡山で暮らしていました。
中3の引っ越した直後は通いだした中学校が「幼稚園からみんな一緒」みたいな中学校でまともに友達はできませんでした。
そのため高校は出来る限り中学から遠いところを選び進学しましたが、高1の頃友達だと思ってたやつに2000円貸したら返ってこなくなって周りを拒絶しました。

そんな僕ですが進学した高校の偏差値が低かったため、成績はかなりよく、高2に上がるときに成績上位者で作った特別クラスに行くことになりました。
高2になって初日に同じクラスになったH・I・Aと仲良くなりそこからしょっちゅう4人で遊ぶようになりました。
この中のHが後の僕の親友です。

この頃はしょっちゅう日付が変わるまでゲーセンに行ったり、皆でビリヤードをしたりと遊びまくっていました。
H・I・Aは高1から同じクラスで仲が良かったのですが、僕は割と自然に最初から友達だったかのように仲良くなりました。
高3の夏休みにAの家で出たばかりのWiiでAが購入したゼルダの伝説トワイライトプリンセスに勝手にセーブデータを作って、通いつめて全クリしたのを覚えています。

卒業後も会い続けて気がつけば10年

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そんな高校生活でしたが、僕は高3の夏に名古屋の専門学校への進学を推薦で決めて、岡山を離れることになりました。
卒業後名古屋に向かう日に友人3人に挨拶メールをすると、それぞれ自分に応援メールをくれました。
3人もそれぞれ卒業までに進路を決めており、Hは香川の大学へ、AとIは岡山の専門学校に進学を決めていました。

それから僕は専門学校が長期休みになる毎に岡山に帰っていました。
最初のうちは3人に連絡をとっていたのですが、いつしかIとAはメールを送っても返事が返ってこないようになりました。
ただ、Hだけはいつも返事をくれて、二人で予定を合わせてよく遊びに行くようになりました。

Hは背が小さいためよく年齢を低く見られることがありました。
24歳ぐらいのときに二人でパチンコ屋に入ると、僕と一緒にいたにも関わらず定員さんがHにだけ「身分証明書見せてもらえますか?」と声をかけていました。

慣れてるから。

身長のせいだから気にすんなよwwww

Hを慰めるような言葉をかけながら、思いっきり笑ってました。
結局高校卒業から10年経った今でも、Hとは連絡を取り合い、岡山に戻る時は必ず声をかけて二人で遊びに出かけます。

無条件で自分を信じてくれる相手は早々いない

過去に僕はどうしようもなくなってHにお金を借りたことがあります。

すまん、事情は聞かずにお金を貸してくれないか?

わかった、給料入ったら返してな

この時既に二人共働いている状態でした。
ただ、僕は安月給のかなり不安定な仕事をしているにも関わらず、パチンコをしたり、出会い系サイトに手を出したりしてお金が無くなってしまいました。
こんなかっこ悪い理由誰にも話せないけど、お金に困っている状態だったので、ダメ元でHにお願いしました。

今でも親友だからこそお願いできたことだし、向こうも本当に僕を信じていてくれたんだなと思っています。
もちろん借りたお金はその月に入った給料で全額返しました。
こんな無条件で自分を信じてくれる相手って早々簡単には見つかるもんじゃないんだと思います。

始めて親父を人として尊敬した日

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僕が沢山の友人よりもたった一人の親友がいることのほうが幸せだと感じるのには自分の過去も関係しています。
それは僕の親父に関したとある出来事です。
僕の親父は名古屋で営業マンをしていて、いつも会社の車で通勤しています。

その日も親父はいつもどおり会社の車を運転して家路を走っていたそうです。
丁度十字路を曲がろうと信号で停車し車の流れが止まるまで待っていたところを後ろから別の車に追突されたそうです。
後ろから来た車は意外と勢いがあったみたいで、親父は車ごとひっくり返ったそうです。

とりあえず警察に連絡し、後処理をして家に帰ってきた親父ですが、事故のショックで親父はその日から廃人のようになってしまいました。
正直廃人になってしまった親父は今思い出しても怖かったです。
普段は起こる親父のほうが怖くて嫌だったのですが、妹と一緒に家の中でいくら暴れまわっても怒らない親父が気持ち悪くてしょうがなかったです。

こんな状態が3日も続き、仕事にもいけない親父の状態を見ていられなかったお袋は親父のひとつ下の後輩で仲のいいYさんを呼びました。
Yさんはその日仕事を早めに切り上げて、親父のもとにきて何かしらの話をしていました。
どんな内容だったのかはわかりませんが、Yさんが帰った次の日から親父は徐々に元の状態へと戻っていきました。

僕はこの時まで、怒ると怖い親父がものすごい嫌だったのですが、窮地に陥った時に助けに来てくれる存在がいることに対してものすごく尊敬しました。
自分もいつか「親父にとってのYさんみたいな人を一人でいいから作るんだ」そう思いました。
そして、今も付き合いのある親友Hがそういった存在になっています。

大事なのは友達の数じゃない、どんなやつと友達になっているかだ

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沢山の友人に囲まれて幸せだと感じる人は多いと思います。
でも、逆に友人が少ないから不幸だということは決してありません。
親友という存在がたった一人いるだけで人間は幸せを感じれることができます。

僕はいつまでも一緒にバカできる親友と自分を信じてついてきてくれる彼女がいるだけで十分幸せです。
一度だけ職を失って一ヶ月仕事をしていなかったときも応援してくれたのは親友と彼女だけでした。
たとえ明日仕事をクビになり、20人程度しかいない友人を失っても、親友と彼女がいれば僕は生きていけます。